最近、仕事が単調だったり、成長実感がわかないことがあり、鬱々として今が我慢の期間だなーと痛感することがあります。
ここを抜ければ・・・という気持ちがもちろんあって取り組んではいるけれど、やっている最中はそこまで気持ちが向かないことも。
今日はそんな気持ちをやわらげたくて、外に出て自然に触れてきました。少し見ごろが過ぎてしまったのですがバラ園に行ってきたんです。
自然の緑や花を見て、触れて、撮ってみる
自然の緑や花って、独特の色合いがあるし、天候や気温に左右されて日々刻々と姿を変えます。今回見てきたバラは少し見ごろが過ぎていましたが、その中でもつぼみがあったり、開き切る前の美しい姿があったりして、1つ1つの状態がそれぞれに異なり「生きてるんだな」ということを実感します。
またこちらのバラ園は、入り口にアーチ状にバラを配置しており、今回18時前に訪れた際には夕日も相まって、とても美しい景色を見ることができました。
バラは様々な品種と色、花びらの形があって、真っ赤なバラって撮影が結構難しかったりします。私はiPhoneで撮っていて、今日一眼レフは持ち合わせていませんでしたが、マニュアル撮影だとかなり難しいんじゃないかな。
桜もそうなんですが、花の柔和な色使いを表現するのは至難の業。そんな中でも自分が「これ!」と感じた花をうまく撮影できたときのうれしさ、これまた格別なんですよね。
自分が感じる「小さな楽しさ、うれしさ」を大事にする
花を見て「きれいだなー」と思ったり、「うまく撮れた!」と感じることは、とっても小さいことと感じるかもしれません。実際にはそうです。ただ、普段の仕事のくり返しとか、会社と自宅の往復だけでは、この感動は体験できません。
今日、外に行かなかったら感じなかった体験。
誰も自分を責めないし、自分の感じたままを受け入れてもいい体験。
何も考えずに、目の前の美しさに集中して、感じたままをスマホでパシャパシャ撮影することができました。
目の前に集中して、もやもやにフォーカスしない
今、きれいな花を見ているときには「きれい」と感じることだけにして、もやっとすることはなるべく考えないようにしました。(実は、しました、というのは結果であって、心がけたわけでないのですが)
バラ園に来るまでは、
「明日は月曜日だな・・・」
「またやっかみを言われるかな」
と思っていましたが、バラを見てもう散りかけだというこの瞬間に、今年のバラの見納めだ、来週に来てもこのバラは見れない、と思ったんです。
また、バラ自体はすごく華やかですが、品種によって色合いや花びらの形が違うので、「どんなのがあるんだろうー?」とあれこれ見たくなってしまう。
そして、自然を目の前にすると、撮影もしたいんだけど、「今この目でちゃんと見たい」という気持ちも沸々とわいてきて、自分の好きな花の姿をじっと見つめていました。
自然は刻々と変わっていて、数十分後には同じ姿を見ることができないかもしれない。そう思ったら、今自分が考えていることが少し小さく見えてきたり。
その気持ちは、いっときのものですぐに落ち込んでしまうこともあるけど、時々は外の空気を吸って目の前にあるものに集中するのもいいな。バラを撮って「きれいだねー!」と言い合っているとそんなふうに思えました。